サタディレヴュー #234     2. 8.14

フランス革命は“なぞ”なのか

 今から四半世紀前の1989年はフランス革命から丁度200年目に当たる年であった。

 フランスでは、その頃フランス革命に関連する著作がいくつか出版されたらしい。

 呉智英という人が“名著の衝撃”というコラムで「フランス革命の代償」R・セディヨ著を取り上げている。(2/3東京新聞夕刊)

 セディヨは次のように言っているという。

 「二世紀経って、大革命という現象を感情をはさまず考察できるようになった。」

 「自由、平等、博愛は進歩派の“信仰箇条”」 

 「今日大革命を祝うのは勝手であるが、新しい文献を読み計量的方法を遡及的に用いて、その肯定面と否定面を計ってみる」「伝説が一掃されたところで、実態が明らかになる」

 フランス革命をリアルにバランスシートに載せてみると、どうなるか。

 まず一連の争乱の中での死者数。約200万人。これは第一次、第二次大戦のフランス人死者数とほぼ同じである。

 革命時総人口は2700万人だったから、人口比では3,4倍になる。

 また自然破壊。革命によって市民の権利は拡大し、平等に狩猟権が認められたため、山林の動物相は破壊された。さらに医療過誤。誰でも平等かつ自由に医者になれるようになり、インチキ医者が横行し、当然助かるはずの命をなくす人が続出した。

 ここに引用されている部分を読む限りでは、この著作がそれほどの“名著”であるようには思えないのだが、私が興味をそそられたのは、このコラムの筆者が引用文の前に“フランス革命って何だったんだろう”と、そして、そのコラムの最後に“保守革新って本当に何だったんだろう。”と書いている点だ。

 一昔前だったら王権に対する民衆の勝利とか、自由とか、民権とか、説明されていたように思うが、今の時代はそのような説明はなされていないのだろうか。

 少なくともこのコラムの著者も、前述の著作の著者もそのような説明で納得してはいないのであろう。

 今の日本人の歴史認識は高校時代の教科書が標準となっているらしいと言う事に気付いたので三年程前に近くの高校(受験校)で使っているもの購入して、それを手許に置いている。

 新詳世界史B(帝国書院)でフランス革命を扱っている箇所を見ると、例えばエイエス、ルイ16世、テュルゴー、ネッケル、ラファイエット、イギリス首相ピット、ロベスピエール、ナポレオンなど、沢山の人の名前、そしてアンシャンレジーム、ブルジョワジー、球戯場の誓い、バスティーユ監獄襲撃、人権宣言、ジロンド派、山岳派、テルミドールの反動、等々、沢山の事柄や事件が羅列されてはいる。しかし、この教科書で学んだ学生たちがそれらの記述から、要するにフランス革命って一体どういうものだったのかを概括的に知る、ということは相当難しいのではないかと想像出来る。

 かりに入試で「フランス革命」を400字以内で簡単に説明しなさい、という問題が出されたとしたら、かなり一所懸命勉強した学生でも、合格点をもらえるような答案を書くことは難しいのではないか。

 教科書だけからそれを書く、ということは不可能であろう。

 呉と言う人はコラムを書く位だから学校でよく勉強した人なのだろうが、そういう人でも“フランス革命って何だったんだろう”と感じている、というのはそういうことから来ているのだろうか。

 そして、この人は前述のセディヨの著作を読んだ後でも、その疑問は解決しなかったようだ。その理由はこの著作はその題名が示す通り、フランス革命の“代償”について、書かれているものであって、フランス革命そのものについて書かれたものではない、そしてそれが大きな代償を払っても手に入れるべきものであったかどうかを考察している訳でもないからであろう。

 フランス革命が国民大衆にとって、どれほどの価値があるものであったか、ということは本来重要なテーマである筈だ。それを大き価値があるものだったと評価するとすれば、ある程度の犠牲はやむを得なかったといえるだろうし、それが大した価値がないものだったとすれば、犠牲になった人たちは犬死だった、ということになるからだ。

 しかし、セディヨと言う人はそういうことには深入りせずに様々な事象を相対化しようとしたがっているようにみえる。

 なぜそうするかというと、実はこの人に限らずフランスの知識層の人たちは、フランス革命の実体が実は表向きの歴史で語られているものとは異なるものであることを理解している、しかし、それをあからさまに語ることは現在の自分たちを支配している人たちの忌諱に触れる部分がある、と言うことが解っているから、なのではないだろうか。

 今一般的に語られている近代の歴史は、今学校で教えられている歴史がそうであるように、ジグゾーパズルの肝心なピースが与えられていないようなものだから、先のコラムニストが感じているように“○○って何だったんだろう”といったような疑問が出て来るのは当然なのだ。

 そのような疑問についての“答え”をアカデミズムの人たちから期待することは出来ない。これらの人たちは、洋の東西を問わず、その、“その肝心なジグゾーパズルの一片”を隠す事を、自分たちの役割として来たからである。

 そういう事柄を解き明かしてくれるのは、アカデミズムとは全く無縁の人たちなのだ。  

 例えばこのレヴューでも度々言及しているコールマン博士は次のように言う。(新版300人委員会 成甲書房)

 フランス革命はジェレミー・ベンサムとシェルバー伯ウイリアム。ベッティが組織し、イギリスが操っていた事実を突き止めた私は、背後に大きな黒幕が居る事もわかってきた。ロンドンの秘密組織クァルトゥルコロナティ・ロッジやフランスの9人姉妹(ナインシスターズ)ロッジがフランス革命で果たした役割を研究すればするほど、一秘密結社である覆面9人団(ナイン・アノウン・メン)ベッティやベンサムだけでフランス革命を起こすことなどどだい無理だと解る。こうしてフランス革命とボルシェビキ革命の共通点を見出した私は、胸を躍らせた。その共通点とは、世界4大宗教の一つである、キリスト教への憎悪だ。

 二つの革命と、一国の天然資源をめぐる近代における最初の大量虐殺となったボーア戦争の真の標的がキリスト教徒と判明してからほどなくして、ミルナー卿とウイルソン大統領、レーニンとトロツキー、ケレンスキーとヘルファントの背後には強力な組織、こうした破壊的行動をあらゆる面で支配する能力と資力を兼ね備えた組織が存在することに気付いた。 

 フランス革命、ボルシェビキ革命、ボーア戦争というむき出しの暴力を成功に導いた原因は各国政府のあらゆるレベルにまで、影響力を持ち、最高の教育と知性を備えた人物が牛耳り、存分な資金を持ち合わせているような巨大な秘密組織の存在しか考えられない。

 コールマン博士は前述の著作によって、世界中に存在する多くの秘密組織を、その巨大な力で管理しコントロールする超権力中枢-コールマン博士はそれを300人委員会と呼んでいる-が存在する事を示そうとしている。その根拠の一つにウイルソン大統領の言葉を引用している。彼は300人委員会に操作されて、アメリカをアメリカ国民とは何の関係もない戦争、第一次大戦 に引きづり込んだ人物である。それはその後アメリカが一世紀に亘って戦争国家であり続けることになる、その幕開けであった。

 商業や製造業に携わる「アメリカの大物」とされる人たちが、ある存在とその力を恐れている。その超能力は、まぎれもなくどこかに存在する。しかし、彼らの存在は巧みに隠され、周到に組織され、あらゆる場に浸透しており、メンバーや下部組織は互いに連携しているので、誰も表立って非難の声を上げることが出来ない。

フランス革命、ロシア革命、そして、イタリアの統一、ドイツの統一などの本質は、金融寡頭勢力-コールマン博士の言う300人委員会の中枢をなす人たち-が国王や君主から金権を取り上げたことだ、というのが最も納得できる説明であろう。

 私は、学校教育が日本人をダメにしている、と考えている。

 世界史の教科書なんぞを読んだところで、世界の歴史なんて解る筈はないのに、大体の人はそんなもので“解ったつもり”になってしまうのだ。

 そういう人たちに比べれば“フランス革命って何だったんだ”と考える人は貴重だ。

 せめてそういう人たちに先のコールマン博士、デイビット・アイク、ユスタス・マリンズ、などの著作を手に取って欲しいものだと思う。

 

「ルーズベルトの陰謀」

 週刊新潮1/30日号に新潮45の広告が載っていて、その中に有馬哲夫という人の“検証日米開戦 機密文書が裏付ける「ルーズベルトの陰謀」ルーズベルトはやはり「日本の対米開戦」を確実に掴んでいた-”とする論文が載っているそうだ。

 真珠湾攻撃がアメリカを第二次大戦に参戦させるために英米によって仕組まれたものであるということは、英米あるは日本の研究者の間では共同認識となっていることだが、そのような説が新潮社のような“大手”のメディアに掲載される、ということは、注目すべき事であろう。

 アメリカとその背後にいるイギリスが戦争を起こす場合、まづその相手国に最初の攻撃を仕掛けさせる、というのが彼らの常套手段であった。第一次大戦にアメリカを参戦させるためにルシタニア号をドイツの潜水艦に攻撃させたのも、真珠湾と同じケースであった。

 9.11も、アフガニスタン、イランへの攻撃をする口実を作るために仕組まれたものであった。

 9.11の計画を進めていた人たちの間で、われわれは“第二のパールハーバー”を必要としていると言う事が語られていたそうだ。

 9.11に関してはそれを仕組んだのが自分たちだとは絶対に認めるわけにはいかないが、“パールハーバー”に関しては、今既に多くの人たちの間で信じられているのだから、認めてしまってもいいのではないか、但し、“ルーズベルトの独断”だったと言う事にして、ということだが、というようにアメリカの政策が変って来たのかも知れない。

 

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