サタディレヴュー #627 8. 21.‘21
コロナ以後の日本の課題
ベンジャミン・フルフォードは最新のレポート(8/16)で“夏の間、欧米の旧体制が権力維持のために必死でワクチン営業を頑張っているが、既に新型コロナのキャンペーンは失敗に終わろうとしている”と分析している、多分そうなのであろう。
先進諸国では、カバルは、ワクチンパスポートを持たない人はスーパーに行けないから飢え死にせざるを得ないと思い込ませようとしているが、そんなことになる筈はないだろう。
売る側としては、ワクチンパスポートを持たない全ての客を失うわけには行かないのだから、何らかの形でワクチンパスポートを持たない客に対しても“売る”方法を考えるようになる事は当然だ。
そしてフルフォードはワクチン接種が進んでいるのはほぼ白人の国しかない、特にイスラエルと英語圏の欧米諸国(アメリカ、カナダ、イギリス、ニュージーランド、オーストラリア)は全体的に接種率が高い、と前置きして、「イスラエルや英語圏の人たちに安全なワクチン(プラシーボ)を打ち、それを見て、白人以外の国々の人々が安心して危険なワクチン(本物のワクチン)を打つように誘導するのが狙いだったのではないか」と語ったカナダの政府系医療関係筋の言葉を紹介している。
「差別はいけない」などのポリティカルコレクトネスを馬鹿正直に信じ込まされているお人好しの日本人にとっては仰天するような話だが現実の世界はそういうことで動いているのだということを冷静に認識する必要があるだろう。
今回の一連のコロナ騒ぎは、日本国民の行き過ぎた従順さ、警戒心の欠如、不適切、不条理な状況に対して疑問を抱かないという性格、を明らかにすることになった。
そのような性質はある意味では美徳であるのだが、日本人が国際社会の中枢にいるたちの悪い人たちに適切に対処することを妨げている。
8月13日の東京新聞夕刊、大波小波(蝉)「戦争の情念へのワクチン」は“日本はなぜ太平洋戦争などと言う無謀な戦争を選択したのか、頭で割り切ろうとしても割り切れない。底流に暗い情念がある。その情念の筋がつかめない”
とある。
太田龍さん流の理解によれば開国も明治維新もユダヤイルミナティに引きづられたものだった。
太平洋戦争もその流れで、皇室、官界、産業界の人たちがユダヤイルミナティの誘導に乗せられて起こしたものであった。日本の中枢の人たちの独自の理念によるものではない、ということであろう。単純にカネに目がくらんだからと解釈してもいいかもしれない。
もちろんそうは考えない人もいる。
前述の(蝉)は片山杜秀の『尊王攘夷 水戸学の四百年』を引用して、‟暗い情念の源に尊王攘夷(天皇を尊び、外敵を打ち払う)の水戸学がある、と続けている。
(蝉)はそのコラムの最后に“攘夷の情念は敗戦で消えたとは思えない。その有効なワクチンは歴史を知ることに尽きる”と書いている。
今どき、天皇を尊び外敵を打ち払うなんてことを本気で考えている人は一人もいないだろう。
政界には、“外敵を打ち払う”どころか、日本の大切な領土や富を“外敵”に差し出そうとしている人さえいるのだ。日本国民を裏切り続けてきた皇室に対して、彼らのために何かをしようと考えている人が一体何人いるだろうか。
特に“眞子様騒動”以来、多くの国民は皇室の人達にうんざりしている。今や皇室はタモリと同様、国民のおもちゃであって、それ以上のものではないだろう。
ありもしない“コロナの恐怖”のためにワクチンが必要だと考えるような人だから、ありもしない、既に死に絶えている“攘夷の情念”を解消するにはワクチンが必要だなんてバカなことを考えるのだ。
日本のいわゆる知識人たちの中のある種の人たち、が前述のような、とんでもない見当外れの考えを持つことになっていることについては理由がある。
日本の権力中枢、皇室、官僚システム、官学アカデミズムは、明治が現在に至るまで日本国民を裏切って、イルミナティの手先として働いて来た。
軍人の中には四王天延孝のように、ユダヤイルミナティについて、充分な知識と認識を持つ人はいたのだが、彼が日本の中枢に入ることはなかったようだ。ナチスドイツと、同盟関係を結んでいた時代でさえそうだったのである。
そのことは同時に、一般的にはナチスドイツは反ユダヤだと思われているが、実はそうではなくて、ユダヤの支配下にあった。(ヒトラー自身がロスチャイルドの庶子だった、という話は本当のことらしい)ということを物語っている。
第一次大戦後のヴェルサイユ講和会議で“世界は英米に支配される、英米はその内部のユダヤ人に支配される”と言う枠組みが決まったという話は繰り返し書いている。
歴史の事実がそうである以上、ユダヤイルミナティのインサイダーに人たちから、世界政治についての“客観的な”論考を期待出来ないのは当然であろう。
新聞や雑誌で見る彼らの国際政治論の殆ど全てが、文字通り靴を隔てて足を掻いているような、もどかしさ、空しさ、いらだたしさ、を感じさせるのはそのためだ。
9.11事件のあと、この事件はメディアが伝えているようなアラブの過激派によるものではなくて、ユダヤイルミナティによって引き起こされたものだ、とする告発が様々な人たちによってなされた。グリフィンもその一人だった。
立花隆はそのグリフィンの告発の書を読んだと週刊文春に書いている。その記事の切り抜きが散逸してしまったので、正確な日付けはわからないが、2005年位だったと思う。
しかし彼は、その後、9.11について口を閉ざして何も語らなかった。語れなかった、要するに意気地なしだったのだ。
立花隆ばかりではない。多くの官学出の学者やジャーナリストの口から9.11についての何らかのコメントを私たちが聞くことがなかった。
結果的に言えば彼らの沈黙が、9.11はアラブの過激派の仕業だ、とする公の報道を定着させてしまったのだ。
現在では、9.11事件の“真実”はほぼ全面的に解明されている。
それなのに未だに日本のメディア、学者、ジャーナリストの世界では、この事件はアラブの過激派の仕業だ、ということになっている。
まるで天動説を信じていた中世の人たちのようではないか。
9.11ばかりではない。いわゆる陰謀論の全てに対して彼等は沈黙を続けて来た。
陰謀論が取り上げている世界的な事件、事象-それは文字通り陰謀と言っていいものだ-の主役は99.9%ユダヤ人だ。現在のいんちきのコロナパンデミックもそうだ。
それでもかれらは、陰謀論に対して目をつぶっているのだ。
このような状態を訂正出来ないとすれば、わたしたちはこれからの日本が向かって行くべき道を考えるためのスタートラインにさえ立てないのだ。
ある程度、世間に知られている人達の中で、ユダヤ問題について、妥当な認識を持っているのは大田龍さんだけだと言ってもいいだろう。
アカデミズムの人たちは、太田さんの歴史観、世界観を学ぶ必要がある。
しかし、太田さんは理科大の出身だ。理科大の前身は夏目漱石の「坊ちゃん」の出身校である物理学校だ。
官学出の人達にしてみれば、“坊ちゃん”の後輩である太田さんから歴史観、世界観を学ぶなんてことは出来ない、ということだろうか。