サタディレヴュー #298  5. 2.15

内濠も埋められた

 EUが世界的な政治統合-NWOとかワンワールド政府とか言われる-へのステップだということは当レヴューで繰り返し書いている。

 現在のEU諸国の最大の政治的争点は、EU各国がそれぞれの主権を保持して、独立国としての機能をする事が出来るか、あるいは“解体”して、世界政府に飲み込まれることになるのかの問題である。

 インターネット情報では各国で民族派が勢力を伸ばしていることが、伝えられているが、日本のメディアではその事は、殆ど問題にされていない。

 問題にされるとすれば、それらの民族派勢力は“極右”というレッテルを貼り付けて、“否定されるべきもの”というニュアンスで扱われているようだ。

 EUで起こっていることは将来の日本でも起こり得ることだから、EUについての情報は私たちにとって非常に重要なものだ。にも拘らず、その情報を日本国民に正しく伝えようとしない日本のメディアは基本的に、反日本人的なものだ、日本のメディアが反日勢力の強力な後ろ盾になっていることと合わせて考える必要があるだろう。

 4月28日の論壇時評(東京新聞夕刊)で佐藤卓巳が、昨年の慰安婦「誤報」問題を検証した朝日新聞社三者委員会で委員をつとめた林香里の「『報道検証』はジャーナリズムをよくするか」(『世界』5月号)を取り上げている。

 それによると“日本国内の慰安婦問題とは、こうした人々-産経新聞とか、安倍氏を中心とする保守政治家のこと-によるリベラルな言論へのけん制と攻撃である”つまりリベラルな言論と右派保守言論とのヘゲモニー闘争だという。

 慰安婦問題をある種の権力闘争としてしか捉ていないということは、この林という人は慰安婦問題に関する朝日新聞の姿勢を、“間違っていた”と考えてはいないということになるのだろう。

 ついでに言えば、佐藤卓巳は“慰安婦「誤報」問題”と書くことで、それは“誤報”ではないのに“誤報だということにされてしまったのだ”と言いたいようだ。

 要するに“リベラル派”と言われる人たちは全く反省がないのだ。

 そういうことを考えると絶望的な気持ちになる。

 4月24日東京新聞夕刊に「河野談話を認めよ」という記事がある。(ワシントン共同)

 “米下院の超党派議員25人が23日、従軍慰安婦問題を念頭に、安倍晋三首相が来週の訪米時に歴史問題に言及し、韓国との関係改善につなげるよう求める書簡を佐々江賢一郎米大使宛に出した。

 特に歴史を直視するため、慰安婦問題で旧日本軍の強制性に触れた1993年の河野洋平官房長官談話と、過去の「植民地と侵略」への反省を明記した95年の村山富市首相談話で示された「結論」を公式に再確認し、その効力を認めるよう促した。”

 その翌日4/25日の東京新聞に“「村山談話継承を」米高官、安倍首相に促す”と言う記事がある(ワシントン青木睦)

 ”ローズ米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は24日、安倍首相の訪米を前に電話による記者会見を行い、歴史問題について「われわれは過去の日本の談話と合致させて歴史問題に建設的に取り組むよう安倍首相に働きかけて来た」と延べ、村山談話や河野談話を引き継ぐよう促した”

 このようなアメリカのあからさまな内政干渉に対して、どこからも、誰からも“内政干渉だ”という批難の声が出てこないと言う事は、多くの日本人は日本がアメリカの“属国”であることを受け入れている、という事だろう。

 先に引用した、林、佐藤などのいわゆる“リベラル派”の人たちは、むしろ、アメリカ議会やアメリカ政府の人たちが、自分たちを援護して正しいことを言ってくれた、と喜んでいるかも知れない。

 前々回のレヴュー(#296)で“今多くの日本人は、日本が実質的にアメリカの占領下にあることを屈辱的な事だと思わない”と書いた。それに対して苛立ちを覚える人たちは“右翼”として軽蔑あるいは否定の対象となっている。

 ゴールデンウィークの時期にこれといった懸案もないのに総理がワシントン詣でをする、という習慣は何時のころから始まった事なのかは知らないが、全く馬鹿げたことだ。

 大勢のお供を引き連れて行く姿はまるで参勤交代だ。日本の首府はワシントンか、などと言うとジョークみたいだが、実情は、それが本当の事を言っているだけで、ジョークでさえないと言う事だ。日本政府に対して言いがかりをつける機会を与えるだけのゴールデンウィークの首相訪米は今年限りでやめて欲しいものだ。

 更に言えば河野談話、村山談話についても、のらりくらりと肯定も否定もせず、如何なるコメントも付け加えないことが望ましいのではないか。何か言えば言うほど、深みにはまって行くのだ。

 4月16日の新聞(東京新聞夕刊)によると2月末の米国外の米国債保有高は日本が1兆2244億ドルとなり2008年8月以来6年半ぶりに最大の保有国となった。二位は中国の1兆2237億ドル。日本が買った米国債は“売れないもの”である。このことは多くの日本人が知るところではなくて、この記事にも書かれていないが、日本が持っている米国債は実際は紙屑みたいなものなのだ。

 いうなれば“ヤクザの親分に召し上げられた上納金”みたいなものだ。

 現在の様相を見ていると、日本はNWOの枠組みを安易に受け入れることになるかも知れない。

 昔の日本は戦国時代に豊臣方と徳川方に分かれて関が原で戦った、しかし徳川幕府によって日本が統一されると、日本人同士が戦う事はなくなった、それと同じように、世界が統一国家となれば、戦争はなくなる、浅はかな人はそんな風に考えるのかも知れない。

 今回の選挙でも、そんな風に考えそうな人たちの党が票を伸ばしている。

 一体日本人の多くが何故このような迷妄に陥ってしまったのか、と言えば、それは巧みな情報操作によるものだった、といえる。

 その基本的な問題が、9.11の真実の隠蔽だ。

 9.11についての真実の解明は現代の国際政治を解明する唯一最大のカギだった。それをなかった事にしてしまったのだから、全ての判断が狂って来るのは当然だ。

 21世紀の最初の10年の間に、日本国民の世界を見る目は完全に塞がれた。その間に日本は外濠を埋められた、といってもいいだろう。

 そして、4年前の3.11で、日本人は地震のこと以外何も考えられなくなってしまったのである。

 こうして今生きているだけで、いいじゃないか、そんな先のことを考えても仕方ないじゃないかと言う風潮になってしまったのだ。

 3.11後の4年間で日本は“内濠も埋められ”て一滴の血も流さずに、いつなんどきでも本丸を明け渡す用意が出来ているのだ。

 その総仕上げをしたのは村上春樹だ。

 昨年11月のレヴューで「壁なき世界」と題する彼のスピーチについて書いた。

 米誌タイムは16日、今年の「世界で最も影響力のある100人」を発表。作家の村上春樹が選ばれた。

 これについて、故ジョン・レノンの妻オノ・ヨーコは「並外れた洞察力を持った作家。日本政府が保守化する中、平和のための貴重な声になっている。」と論評した。(4/17日東京新聞夕刊)

 日本のメディアによって隠蔽されている重要な問題について、私たちに貴重なヒントを与え続けてくれた、太田龍さんが亡くなってから早くも6年、この5月19日に7回忌を迎える。

 その太田龍さんが亡くなる少し前の時評で村上春樹はイルミナティの工作員だ、と書いておられた。

 ある男に“壁なき世界”を訴えるスピーチをさせる。半年後にそのお伽噺を語るその男に、“世界に影響力を与える人”というお墨付きを与える、つまり日本国民に向かって、“皆さん村上春樹のように考えましょう”と言っている訳だ。

 かれらはそんなやり方で、日本国民を洗脳して来たのだ。

 最後に飛び切りバカな発言を紹介しておきたい。

 週刊新潮で高山正之が池上彰はバカだ、と書いていたが、確かに高山の言うとおりだ。

 その池上彰が「国益に反して何が悪い?」と、朝日叩きとネトウヨの無知を大批判!しているという。

 民法には公序良俗違反についての条文はあるが、国益に反する行動を悪いとするような条文はないだろう。

 しかし、それは国益に反する行為が正当化される、ということではない。

 どこの国でも、その国の人間-まともな人間だったら-は自分の国の恥を晒すようなこと、不利益になるような事はしないようにするのは普通だ、それは法律上の問題ではなく、モラルの問題なのだ。

 池上は正義を貫くためなら国益に反してもいい、と考えているらしい。

 しかし、“正義”なんてものはその時の風向きで、どうにでも変化するものだ。特に池上彰の“正義”なんてものはセロハン紙のように薄っぺらなものだ。それに対して、国の存亡は500年1000年の単位のものだ。池上彰はそんな簡単なことさえ分かっていないようだ。

 池上彰に限らず前述の林香里、佐藤卓巳、村上春樹も国家の存亡なんてことを考えていない、あるいは日本が亡くなるかもしれないなんて事を考えてみたこともない、あるいは日本が亡くなってもかまわない、そんな程度の認識なのであろう。

 NWOに組み込まれた後の日本が今の日本と大差ないもの-大多数の人たちはそう考えているようだ-なら受け入れる事は出来るかもしれない。アメリカにペコペコする回数が一寸増える位なら我慢してもいいかも知れない。しかし、かれらに対する“上納金”は今まで通りでは済まないだろう。更にかれらが予定しているのは独占共産主義体制つまり、スターリン時代のソ連、毛沢東時代の中国だと聞かされたら、それでもいいという人は沢山はいないだろう。

 ただ、スターリン時代のソ連、毛沢東時代の中国で一体何が起こっていたのかについて何の知識もない興味もない人たちが増えてくるとすれば、どうなるか分からない。今回の選挙における共産党の異常な“伸び”は、共産主義の恐怖が大分薄らいでいる、つまり無知になっていることを物語っているようだ。

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